
伝説の深夜番組、ギルガメッシュナイトが終了して早9年強経った今日でも、エロ芸人の頂点に神々しく君臨されていらっしゃるイジリー岡田さんの登場! 一言、お待ちしておりました!
「一時期は悩みに悩みぬきましたけど、今では自然にできますね。ギルガメッシュ!(おなじみのポーズで)」
最高すぎます! 悩んだ時期があるということですが、詳しくお聞かせいただけますか?
「そもそも僕はですね、萩本欽一さん、欽ちゃんの芸風に憧れてこの世界を志したんですよ」
「その通りです。もう欽ちゃんが好きで好きで、欽ドン!(良い子悪い子普通の子1981年4月6日〜1983年9月12日)の2代目フツオ(普通の子/初代・長江健次。どこにでもいる普通の高校生キャラ)。のオーディションに応募したぐらいですからね!」
フツオですか! イジリーさんがフツオになっていたら時代は変わっていたかもしれませんね。
「ですねぇ。まぁ、欽ちゃんもそうなんですが、僕はヨシオ役(良い子)山口良一さんにもめちゃくちゃ憧れてまして、あの天才的なアドリブと小気味の良いお芝居が大好きでして」
あのメガネに青の学ランキャラは一世風靡しましたもんね。そもそも、芸能界を意識されて始めたのはいつ頃からだったんですか?
「いや、もう全然全然(両手を大きくふって)。だって僕、中学生くらいまでは普通のサラリーマンを死ぬまでやるっていう生活設計を立ててましたから」
「その通り、夢なんてまったくなかったですね。もう小中と僕はものすごく平凡というか、まったく表に出るような正確じゃなかったんですよ。答えがわかってても手をあげないし、教科書読まされるだけで顔を真っ赤っかにしてましたから」
「高校デビューってやつです。僕の地元は高校がたくさんあってですね、同じ中学の生徒と同じ高校に行ったとしても、僕のことをしっいてる人間は数的に少ないというか、多くて3〜4人くらいになるんですね。なので「このタイミングで僕も変わらないとな」って考えて。まぁ、高校の時にできた友達に恵まれたのも大きいですけど。だって、その高校で出会った友達とコンビを組むわけですから」

イジリーさんはデビュー当時はコンビだったんですよね。
「キッドカットというコンビでしたね」
たしかイジリーさんはホリプロお笑い部門の第1号なんですよね?
「そうなんですよ。でも、ホリプロに入る前はもう辞めようと思ってたんですよ」
「えぇ、まわりのみんなが大学を卒業して就職する年までに何も決まらなかったら辞めようって決めてたんですよ」
「まぁそうなりますかね。その当時ですね、いろんなオーディションに2年間落ち続けて、そんで「これが最後だ」と思ってフジテレビの素人ものまね王座みたいな番組のオーディションを受けたんですよ。まぁ、それはひとりで受けたんですけど、まずは関東予選で二次審査まで、それから全国のみんなが集まって三次審査、それでやっとスタジオに行けて、スタジオでうけなかったらオンエアはしないっていう流れだったんですけど、受かっちゃったんですよね。で『これでもう後悔なし』と思って、もう辞めようと」
「そうですね。敢闘賞ももらったし、あのねのねさんとのトークも盛り上がったし、しかもトークの部分がものまねよりたくさんオンエアされたし、これで満足だなって」
「それがホリプロなんですよ。その番組がオンエアされた年がですね、丁度ホリプロがお笑いを始めるっていう年で、まぁ当時の上層部からは『お笑いなんてけしからん!』みたいな感じで認められてなかったみたいですけど、ふたりのマネージャーがお笑いをやろうって立ち上がってね。で、いい弾はいないかってことになったみたいで、そこで僕の名前が上がったみたいなんですよ『いえば素人ものまね王座で岡田っておもしろいやつがいたな』って」
「そうなんですよぉ! もうビックリしましたね。事務所に呼んでいただいて『VTRを見たんだけど、ものまねをやってみてくれないか』って、で『来週から毎週ネタを見せてください』って」
「えぇ、だから『実は僕ひとりじゃなくてコンビでやりたいんですけど』って言ったら『じゃあネタ見せはコンビで』って言ってもらって。もう天にも昇る気分でしたね」
「でも『これ本当かな?』って疑いの目で見てた自分もいたんですけどね」
「いや、その日が4月1日のエイプリルフールだったんですよね(苦笑)」