
●徹底的に遊んだ日活時代
僕、お酒の飲み方や遊び方は、日活でおぼえましたね。裕ちゃん(石原裕次郎)や二谷(二谷英明)なんかも、そう。映画スターとはいってもみんな22〜23歳でしたから、遊び方に若々しい勢いがありましたよ。
たとえば日活の撮影所での撮影が5時ぐらいに終わるじゃないですか。すると決まって「銀座行くヒト、銀座行くヒト」って声が出はじめる。すると10人くらい集まるわけですよ、すぐに。じゃあ、ってんで、僕のクルマ、祐ちゃんのクルマ、二谷のクルマに分乗して、ワーッて銀座にくりだす。
最初にね、クラブに行くんですよ。そこで、まずホステスさんに「弁当見せて」って頼む。うまそうだったら、それをもらって、カウンターでビール飲みながら食べちゃうわけです。晩飯ですね。食べ終わったら「後でまた来るから」って、こんどは有楽座あたりにいって映画を一本楽しむ。それからクラブにもどって、酒飲むんですが、頃合いがよくなるとですね、「よし、女の子みっけよう!」ってなって、街にでて女の子に声をかける。必ず見つかるんですね、これが。で、次は「じゃあ横浜行こう」って、女の子をクルマに乗っけて横浜のブルースカイっていうナイトクラブへ遊びにいく。……えっ飲酒運転? ああ、当時は平気でしたから(笑)。
それで、横浜の遊びが終わるとですね、最後は渚ホテルに直行です。みんなそれぞれ女の子と部屋に入って、遊びの締めくくりをやるっていう形。
そう、あの頃は遊びに行くとなったら、必ず朝まで徹底的に遊んでました。酒、バクチ、女、それぞれ30%ずつ力を配分しながら、残りの10%は、映画とかの文化に捧げるという感じでね。
裕ちゃんはね、そんな遊びのとき、いつも名幹事役をつとめていましたよ。遊びの提案からメンバー決め、店決め、ホテルの部屋割り……。そうそう、ホテルの朝食を洋食にするか和食にするかまで手配してくれた(笑)。ああいうことできるヒト、今いないでしょ。
●地方でのロケでは、悪役ならではの特典も
当時、資本がなくても稼げる職業って、プロ野球選手か映画スター。体ひとつあればけっこうビッグマネーを手にすることができた。映画一本撮ったら、ガツンって大きく遊べたんです。今はね、TVで無茶苦茶働かないと遊べませんからね。それにゴシップ写真が邪魔。スターでお金があったって、どこで写真撮られるかわかんないから思いっきり遊ぶことができない。僕らの頃は、スター1人に番記者が付いていて、ゴシップネタはそこからしか流れない。だからときどき、その方々といっしょにドンチャン同じ遊びをした。そうすると、彼らもなかなか書けないわけでね……(笑)。
1960年代って映画が最大の娯楽でした。年間11億もの人が映画を観ていたんですよ。そういう時代でしたから、地方にロケに行くと、もうすごかった。
小林旭さんと浅丘ルリ子さんが出演した『口笛が流れる港町』のときだったかな、港町の風景を背景に撮影するシーンのときに、海縁の家の屋根という屋根の上に、見物人がダーッと連なってる。どこを撮っても人が入ってくる。非常に重要なシーンだったんだけど、仕方ない、海でやろうって、船借りて、急遽海上ロケやったりしてましたね。
ロケがそんな感じでしたから、トップスターたちは地方に行っても夜は出歩けなかった。僕? 僕はほら、悪役でしたから、いろいろ行きましたよ(笑)。よくね、地元を仕切る怖い方々からお呼びもかかったりして。好んで行ったか? いやいや、製作主任とかプロデューサーに「頼むから挨拶してきてくれ」って懇願されて仕方なくって感じですよ。
で、まあ、行くじゃないですか。「錠だ、錠だ」って、すごく歓待してくれるんですよ。まあそれはいいんだけど、飲んでる途中、「店の女の子、どれでもいいから指をさせ」とかいうんですね。えっ、とか思うけれど指をさしますよね。そうすると、その女性と自動的に宿泊できることになっていたりする(笑)。もう、よしてくれよ、オレたちはそんな時代に生きていないんだからって、内心思ったりしてたもんです。
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